死が近づいてくる。


小学生の頃、

自分が年老いて死ぬ事なんて

イメージが湧かなかった。


今は、40歳の自分が

想像出来る歳になった。


死は万人に平等に訪れる。

訪れ方は違っても、

余す事無く人々がやがて

体験するだろう。


死を選択する。


それも可能だ。


理由は人それぞれ、

感じ方も人それぞれ。


或る者の限界は、

別のある人の爪程もない

他愛も無い事かも知れない。


しかし、それを図り知る事は出来ない。


誰にも咎める事は出来ないし、

貶めたり辱めたりして良いモノでも無いだろう。

勿論、その考えも私の主観があってこそ、

誰をも縛るわけではない。


しかし、推測する事は出来る。

死を選ぶ人は、

死という自然の摂理的なものに反発し

自らの意思で死ぬのかも知れないし、

生に対する絶望から開放されたくて

死を選ぶのかも知れない。


歳を重ね、

だんだん人の死が身近になってきた。


私が死んでも、

このブログのみで繋がる人々には

伝えられる事は無いのだろう。


だが、

このブログの外でも繋がっている方は

このログの中で行き続ける私と、

死んでしまった私を知る。


昨日、とある事があり

何か考えてしまった。


取り留めの無い記録的な

感じでアップしてみる。